すでに行われてきた解釈改憲への反対は? 「日韓平和団体共同宣言」に寄せて

4月下旬のオバマ訪日・訪韓にあわせて、「日韓ネット」が「日韓平和団体共同宣言」への賛同を募っている(日韓ネットのブログにはまだアップされていないので、転載されているブログにリンクしておく)。

オバマ訪日・訪韓に対する日韓平和団体共同宣言への団体賛同を

いくつかの論点においては、筆者は宣言に賛同する。

今回のオバマ来訪が、「アジア地域への米国の介入と関与」、「米国中心の覇権的な軍事政策」および「中国や北朝鮮に対する締め付け」の強化を目的としているという指摘は、そのとおりであろう。
「北朝鮮の脅威」、「領土問題」、「中国の台頭に対する牽制」などを口実とした、「アジア駐留の米軍戦力の増強」および「日米韓ならびに日米豪の戦略的同盟強化」の推進、それにともなう、日本の集団的自衛権の行使容認、さらには日韓の「軍事情報に関する包括的保護協定」(GSOMIA)やMD協力の締結、などを後押しすることによって、米日韓が「事実上のアジア版NATO、軍事同盟システムの完成」に向けた協調を模索しているという見解は、筆者も共有するところだ。
そうした動きに積極的に呼応する日韓の政権にたいして、批判を強めねばならないと、筆者も強く感じる。

さて問題は、この「アジア版NATO」に反対する力を、どのように作っていくべきかということだ。

「日韓ネット」が代表するような、下からの日韓連帯の路線は、必要ではあるかもしれないが、十分条件ではまったくないというのが、筆者の考えである。
それぞれの国や地域の歴史的背景を踏まえない、または不十分にしか踏まえない、抽象的な国際主義では、かたちはあっても中身がなく、それゆえに反戦平和の実質的な力にはなりえないだろう。
そして、この「共同宣言」は(というより最近の日本における反解釈改憲の議論の大半は)、「アジア版NATO」に反対する日本人としての歴史的立場を、じゅうぶんに深めていないように感じる。

宣言では米日韓各政府への要求が掲げられているが、そのうち、日本政府への要求はひとつ。
「集団的自衛権行使容認と憲法改悪の立場を撤回すること」である。
だがこれは、「アジア版NATO」によって再確立されようとしている、米国およびその同盟国による覇権主義を批判する立場として、まったく十分ではない。

日本国内からの反対運動は、とりわけ日本政府の政策や姿勢を問題にしなければならないが、当の日本は、かたちの上での「平和憲法」にもかかわらず、自衛隊という名において、この「アジア版NATO」のなかでも有数の陸・海・空の軍事力をもっている。
戦争放棄・戦力不保持を掲げた憲法9条と矛盾する、強大な戦争遂行を保持さらには増強しているということ自体が、そもそも問題であり、ましてや「自衛隊」の国外展開などありえないというのが、この国における反戦運動のそもそもの構えであった(あるべきであった)はずだ。
この立場に、この国における集団的自衛権や「アジア版NATO」への反対運動を、しっかりと立脚させねばならないというのが、筆者の主張である。

つぎのように反論されるかもしれない。

「憲法解釈を変え、集団的自衛権を行使できる状態にしなければ、日本は「アジア版NATO」に参加できないのだから、解釈改憲反対を焦点とするのは正しい」
「憲法上の戦力不保持と自衛隊との関係に話を広げることは、論点を拡散させることになり、現状では逆効果だ」

あるいは、
「なしくずし解釈改憲を食い止めるためには、集団的自衛権への反対だけで結集点を作るしかない」
などと、「現実主義的」な観点から、主張する人もいるだろう。

しかしながら、そのような安易な大同団結路線こそが、むしろ、以下のような現実を取り違えてはいないだろうか。

たしかに現行の「自衛」解釈は、日本軍(自衛隊)の国外展開において、ある程度の足かせにはなっているだろう。
しかしながら、それはあくまで「ある程度」でしかない。
言うまでもなく、湾岸戦争以来、PKO、災害援助、さらには対テロ戦争の枠組で、自衛隊の海外派兵はつぎつぎに既成事実化され、またそれを可能とする法改定が進められている。
この動きにたいして、現行の「自衛」解釈はまったく制限とならなかった(あるいは少なくとも、運動をつうじて制限として機能させることができなかった)というのが、歴史的事実である。

だが「アジア版NATO」成立の危険性という文脈において、より注目すべきは、近年とくに活発化している、日本と他国との合同軍事演習ではないかと思われる。
合同演習というと、日米同盟を口実とした米国との合同訓練(1980年からの環太平洋合同演習への参加に始まる)がよく思い浮かべられるだろうが、しかし2010年ごろからは、インド、タイ、インドネシア、さらには韓国など、アジア諸国との合同演習が進められている。
とりわけ昨年10月8日からの3日間には、韓米日の海軍による合同軍事訓練が、朝鮮半島南方海域で実施されたが、これなど朝鮮民主主義人民共和国への露骨な威嚇だ。
さらには、例年3月から4月に行なわれている韓米の合同演習だが、今年のそれは「93年以降で最大規模」であったのみならず、沖縄の駐日米軍基地から多数のオスプレイがこの演習に参加する予定だ(現時点では「参加した」)と、韓国メディアで報じられた(しかも同メディアの日本語版には翻訳されなかった)。
※ このことは、近年の日韓情勢を批判的に分析している、以下のブログで取り上げられている。

Super Games Work Shop Entertainment 3月31日から4月7日まで行われる韓米合同軍事訓練について(2014.3.31)

こうした動きから言えるのは、上の宣言で仮にそう呼ばれている「アジア版NATO」が、すでに実質的には、かなりの程度整えられてしまっているということだ。

合同軍事訓練への日本参加の活発化が示しているように、韓国も含めたほとんどの近隣諸国の政権は、米国の覇権主義を補うかたちで日本軍(自衛隊)が活動することを、すでに許容してしまっている。
もちろん日本への警戒心がゼロになったわけではないだろうが、米国覇権下での協調への利害関心が、そのような警戒心より強くなっていることは、間違いない。

こうした現状を前に、「日本の軍国主義にたいする隣国の抵抗感は薄れているようだから、自衛隊の存在そのものは許容していいのではないか」と立場を後退させることもまた、ひとつの「現実主義」であるとは言えよう。
だがそういう姿勢では、日本が「アジア版NATO」に積極加担することを食い止めることなど、できるはずがない。
日本が「アジア版NATO」の主要な構成要素として受け入れられつつあるにもかかわらず、集団的自衛権に向けた解釈改憲には踏み切れないだろうという考えは、それこそ非現実的である。

自国の対アジア侵略と戦争とが誤りだったという見解に立つならば、侵略主義や覇権主義の道具であるところの軍事力を自国がもつことに、原則的に反対しなければならない。
過去の反省と自衛隊の保持とは両立しないという立場を、保持しなければならない。
そのような立場から日本の反戦運動や社会運動がどんどん遠ざかっていった結果として、現在がある。

だとすれば、とりあえず現状を食い止めるために人々を動員しやすい「低い敷居」を設定することではなくて、この国における反戦平和の原理を歴史的視点から作りなおし、これに運動を位置づけなおすことが、むしろ急務であるはずだ。
言い換えれば、自衛隊の存在こそが解釈改憲であるという事実認識に、この国の反戦運動の足場を置きなおすことである。

同じことは歴史認識問題についても言えるはずだ。
つまり、この問題をめぐる後退につぐ後退を断ち切るためには、「河野談話の継承」を掲げるのではなく、日本の戦時性奴隷制度や、植民地支配下での奴隷的労働、さまざまな戦時動員にかんする、徹底的な究明と個人補償を、諸外国の非難からではなく、清算されざる日本の侵略責任に主体的に向き合うという観点から、要求することである。

したがって、今回のオバマ訪日にかんして、日本の反戦運動が自国の政府にたいして掲げるべき要求は、以下である。

憲法9条が掲げている戦争放棄、戦力不保持と矛盾する、東アジア有数の軍事力としての自衛隊を解体すること。

そのような自衛隊の存在を許してきた、過去のすべての憲法解釈を、日本国家は撤回すること。

大日本帝国として行った一切の侵略行為の正当化を撤回し、戦時性奴隷制度(「慰安婦」動員)をはじめとする、植民地や占領地の出身者にたいする動員や強制労働の調査に取り組み、被害者への個人補償に応じること。

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朝鮮が核武装および臨戦態勢を強化するのは当然である

筆者は、いかなる核開発(原発含む)にも反対である。だがそれにもかかわらず、現状況において朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)が核武装を強化することを、筆者は擁護する。

戦火に包まれる危険から朝鮮を守っているものは、残念ながら現況では、朝鮮の核開発能力をおいて他にない。もちろん、ここで言う戦火とは、米韓の砲弾による戦火であり、米国の戦闘を全面的に支援するであろう日本によってももたらされる戦火である──明文改憲なり解釈改憲なりして、日本も公然と攻撃に加わることもありうるが。

先進資本主義国にたいして(一定程度)敵対的であり、のちに核や大量破壊兵器を放棄した国々が、過去10年ほどのあいだにどうなったのかを、思い出して見ればいい。実際にはすでに1990年代に大量破壊兵器を放棄していたイラクでは、米国の爆撃によって、数十万の民衆の命とともにバアス党体制が吹き飛ばされた。2003年に核開発を放棄したリビアは、国外で訓練された「反体制派」の蜂起を口実としたNATOの空爆による体制転覆をもって、混乱の渦に叩き込まれた。

そのようなさまを見たあとで、「核を放棄したら対話を再開してやる」というオバマの言葉を、誰が信用できるというのか。朝鮮が核を放棄したとしても、米国をはじめとする帝国主義陣営が同様の軍事攻撃をおこなわないと、誰が保証できるだろうか。米国の実質的な核放棄への道を開く力となりえないかぎり、日本や他の「西側」諸国の平和主義勢力には、朝鮮の核開発を批判する資格などない。現状では(筆者自身も含めた)西側の反戦主義者よりも、朝鮮の核のほうが、よほど平和の役に立っているのだ。(オバマの核軍縮政策が内実をともなっていない点については前記事を参照。)

朝鮮が平和勢力であるなどとはもってのほかだ、という反論が、すぐに返ってきそうである。たしかに3月11日の休戦協定破棄宣言以来、朝鮮はこれまでにないほど対決姿勢を強め、実際に臨戦態勢を強化している。それでは、これほどに強烈な対決姿勢を、朝鮮が今日になって打ち出しているのは、なぜか?

朝鮮の拉致問題公式認定にもかかわらず、日本は朝鮮との国交正常化交渉を一方的に覆し、「経済制裁」を強化させてきた──それ以前に、朝鮮半島の植民地支配にかかわる日本の責任問題を、日本は国交正常化交渉から系統的に排除しているという問題もある。韓国は李明博政権期から、金正恩体制がすぐに崩壊するだろうとタカをくくり、吸収統合の姿勢を表に出していた。最近では毎年2-3月に、米韓は対朝鮮の戦闘を想定した共同軍事演習(キー・リゾルブおよびフォール・イーグルと命名された)をおこなっている。しかも今年の演習は、イギリス軍、オーストラリア軍、フィリピン軍なども参加しており、「米国が「かつての「国連軍」を目論み、第2次朝鮮戦争を準備していること」を伺わせるものになっているという(愛媛現代朝鮮問題研究所代表 名田隆司の記事より)。

朝鮮が挑発者で、米国や日本は冷静な対応者であるかのように、ほとんどの人間(マスメディアに限らず)が決めつけているが、実際にはむしろ朝鮮こそが、米国を中心とする西側諸国からの圧力と挑発への対応に迫られてきたわけである。そのような脅迫には屈しないという強い意志を、朝鮮は鮮明に出しているのだろう。少なくとも、国際関係上の緊張を高めて、韓国や日本の信用を下げて困らせ、譲歩を引き出そうとしているのだという見解は、あまりにも浅薄だ。

現状において想定しなければならない可能性は、朝鮮に攻撃されることではなく、朝鮮を攻撃することである。また、そのような可能性が実現することを避けるために、反戦主義者がしなければならないのは、朝鮮バッシングに加担したり、それに我関せずを決め込むことではなく、そのような風潮に公然と反対することである。

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日本は植民地主義の遺産を放棄しよう! ビラ

最近、釣魚諸島(尖閣諸島)や独島(竹島)をめぐり、中国、台湾、韓国と日本とのあいだで対立が強まっていることについて、先日にこのような声明を出しました。しかしそこにも書いたように、「許すな! 憲法改悪・市民連絡会」の声明は、疑問のある論点がありました。そこで、他の団体の声明にかこつけることなく、独自の声明と解説も出すことにしました。今回はビラ仕立てにしてあります。ぜひあちこちで配ったり、駅や公共施設に置いたり、秋の夜長に友人や家族と読みあわせたりしてください。

ダウンロードはこちらをクリック (PDF, A4, 両面)

ビラの内容

[おもて]

植民地主義の遺産を放棄しよう!

釣魚諸島(尖閣)と独島(竹島)の所属をめぐって、中国、台湾、韓国で、日本の姿勢への抗議が高まっています。朝鮮民主主義人民共和国も日本を批判しています。かたや日本では、両島は「日本固有の領土」だと政府が言いはり、メディアは抗議デモを「理不尽」な「反日暴動」としてしか報道しません。しかしこれは「領土問題」ではなく、今日にまで尾をひく日本の植民地主義の問題です。したがって、日本人こそが政府に「侵略の遺産を放棄せよ」と要求すべきです。

「尖閣諸島」「竹島」 は日本が侵略戦争で奪った

日本が釣魚諸島(尖閣)と独島(竹島)を侵略戦争で奪ったことは、明確な事実です。
1. 釣魚諸島: 1895年、日清戦争で勝った大日本帝国(日帝)は、台湾を公式に植民地化し、朝鮮への影響力をも強める「下関条約」を、清国に結ばせました。その数ヶ月前、つまり戦争での勝ちが決まったところで、釣魚諸島の「編入」が閣議決定されました。この「編入」は諸外国に宣言せず一方的になされましたが、くわえて、その10年前(1885年)には他ならぬ日本政府が、調査の結果、釣魚諸島が清国に属すると認識していました(外務省『日本外交文書』第18巻に記録あり)。
2. 独島: 日露戦争後の講和条約(1905年)で、日帝はロシアにたいして朝鮮(大韓帝国)での権益を確保したあと、「日韓協約」によって大韓帝国を「保護国」にしました(その5年後に朝鮮を公式に植民地化します)。この「協約」の数ヶ月前、やはり日帝は独島を一方的に「編入」します。しかし独島については、そもそも近代化以前の1695年、鳥取藩は「松島」(現在の日本語名で竹島と同じ)が同藩に属さないことを明確にし、翌年には江戸幕府が「竹島」(現在の朝鮮語名で鬱陵島および独島)への渡航を禁じたという歴史的経緯があります(竹島一件)。
3. 結論: したがって、両島は日本の「固有の領土」ではなく、侵略と植民地化にもとづく「領土」なのです。それを手放さないことは、侵略の過去を戦後日本が反省していないことの表れに、ほかなりません。

反日有理! 日本人こそ「反日」すべき

日本の報道では「反日」という言葉が、なにやらネガティヴな印象づけとともに乱発されています。しかし、釣魚(尖閣)や独島(竹島)は日本の植民地主義の遺産なのですから、中、台、韓、朝の人々が怒るのは当然のことです。「周りの国が怒っているから」だけではありません。いつまでも侵略の遺産にすがりつくような政治家たちに代表されているのは、日本の民衆にとっても悪いことです。過去の侵略行為をなかったことにするような支配層が容認されるような国であるからこそ、日本の為政者たちは、貧困、原発、沖縄への基地集中など他の問題でも無責任でいられるのです。だとすれば、日本人にとって「反日」とは、そのような「日本」のありかたを拒否し、今とは別のよりよい国や社会を作ろうとする、ポジティヴな行為であるはず。

[うら]

釣魚諸島(尖閣)と独島(竹島)にかんするQ&A

Q.両島が「日本固有の領土」でなかったとしても、国際法にのっとって編入されたのでは?
A.国際法から見ても大いに問題あり。

日本の保守的な政治家や専門家は「国際法上問題ない」としています。たとえば、両島は「無主地」(まだ人間が支配していないとされる土地)であったから、先に編入を宣言した国のものになる、などと言って。たしかに、伝統的社会には近代的な測量技術にもとづいた地図がなく、国境が今日のようには明確でありませんでした。しかしそれでも、両島が清国や朝鮮に帰属することは、近代化以前の時代において確認されていました。その延長線上に、明治日本が侵略戦争によって両島を一方的に「編入」したという事実があります。そもそも、1895年の下関条約でも1905年の日韓協約でも、両島の帰属については触れられていません。つまり、日本は諸外国にたいして秘密裏に「編入」をおこなったのでした。「国際法にのっとっている」と言うなら、なぜ日本政府はこのような一方的でコソコソした手段をとったのでしょうか。

Q.いつまで日本は過去のことで謝罪やら賠償やらを要求されなければならないのか?
A.日本政府は賠償もちゃんとした謝罪もしていない。

「日本はさんざん謝ってきたのに今も中国や韓国にタカられている」というイメージは、保守的な政治家やメディアがまき散らしてきたものですが、まったく実状に沿いません。村山談話(1993年)や河野談話(1995年)が右翼からは目の敵にされていますが、これは反省のない形だけのお詫びでしかありません。それは日本国家の具体的責任も、その責任をとるための補償も、すべて誤魔化しています。賠償も実際にはしたことがなく、あるのは政府間(中日および韓日間)での「経済協力」の約束、つまり「商売で仲良くするから昔のことはチャラにしてよ」という約束だけです。それどころか、政治家や公人が「慰安婦」も「南京虐殺」もなかったなどと言いふらし、さらには政府が侵略の過去を無視して釣魚諸島や独島を「日本固有の領土」だと言いはっています。これらはすべて「過去」だけではなく「現在」の日本の問題でもあります。

Q.中国の「暴動」や軍事的緊張が高まっている。歴史はどうあれ暴力はよくないのでは?
A.これまで「暴力」=軍事力に訴えてきたのは日本。まずはその暴力をなくすべき。

日本は釣魚諸島や独島を、それこそ国ぐるみの暴力(戦争)にものを言わせて奪いました。しかも釣魚については、力づくも占有を今までずっと続けています。最初の暴力を振るったのは日本です。その最初の暴力につらなる両島の一方的な実効支配を日本がやめないかぎり、暴力によらない平和的解決へのプロセスは、いつまでも始まることはないでしょう。

Q.「領土争い」をするより、両国での共同開発や、双方の漁師の共同利用にすべきでは?
A.領土争い以前に、日本の植民地主義の問題であって、日本の両島放棄は前提とされるべき。

争いではなく共有を、対立ではなく協調を、というスローガン自体はポジティヴなものです。作成者も共感します。しかしそもそも、日本は「共有」を言い出す立場にあるでしょうか。かつて日本が釣魚諸島や独島を「編入」したのは、台湾、朝鮮半島、中国大陸にたいする日本の侵略や植民地化の一環としてです。だとすれば、これらの島への日本の領土主張(釣魚については実効支配)が1945年以降も続いているのは、おかしなことです。かつての侵略戦争や植民地支配が悪いことであったと反省するのであれば、日本が本来すべきことは両島の放棄です。それなしに、いかなる「共同開発」や「共同利用」の協議もありえません。

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