要塞ヨーロッパからEU帝国へ(2) シェンゲン再編と南北問題

(10.10追記 この記事は、カスパレクとジアノスのフィールド・ワークにもとづく研究を参考にしています。ただし、全体的にはいまだ、国境管理の実際の主要な担い手はナショナルな諸機関で、EUのエージェントの力は、少なくともまだそれほど強くないとの指摘を、その後に筆者が知人から受けたことを、付記しておきます。)

欧州統合は、国民国家間のネガティヴな分裂をのりこえ、協調、平和、国際連帯、民主主義といったポジティヴな価値を増大させる試みとして参照されることが多かった──(左右の)リベラルからも、よりラディカルな(と一般には目される)一部の左派からも。よく知られた話だが、たとえばこんなことがあった。アントニオ・ネグリは「あの国民国家というクソを取り除くために」2005年の欧州憲法条約への賛成を呼びかけている。この憲法条約は多分に新自由主義的であり、ヨーロッパの反グローバリズム左派のほとんどはこれに反対していたので、ネグリが反グロ左派の猛批判を浴びた。ちなみにネグリは、「そういう批判がありますが」というLibération紙でのインタビューにたいして、「そんなことは問題じゃない」「欧州憲法でなければ共産主義モデルの憲法を選べというのか?」と、まったく文脈に合わない論点のすりかえで答えていた(かれがヨーロッパの左派に「ネオリベ」や「アナキスト右派」と白い目で見られるのも無理はない)。ネグリの奇妙奇天烈な提言とは無関係に、憲法条約はフランスとオランダの国民投票での否決をもって廃案となり、しかしそのネオリベ的内容の多くは結局2009年のリスボン修正条約で反映された。

現在進行中のユーロ圏危機は、EUの理想の失敗(一時的であれより深刻なものであれ)を、印象づけたことだろう。だがそもそも、そのような理想それ自体が偽りだった、あるいは少なくとも内実を伴うものではなかった、と言ったほうがよさそうだ。しかもそれは、EUが新自由主義的だからというだけではなくて(その点とも関連しているが)、その本質が帝国主義的だからでもある。現在の危機において、ヨーロッパを支配する非民主的な金融資本のパワーへの抗議が高まってきた。金融資本への抵抗そのものは大いに重要だ。しかしながら、問題をトロイカ(欧州中央銀行、EU、IMF)だけに還元することは、不十分でも不当でもある。現在の危機がヨーロッパ外部の周辺諸地域に及ぼしている影響については、抗議運動においても、いまだほとんど問題化されていない。欧州内部の「南」までに、想像力がほとんど限定されてしまっている──まさにこの危機の局面において、グローバル・サウスにたいするヨーロッパの抑圧的な相貌が、ますます鮮明になっているというのに。現在も進行中のシェンゲン再編は、EU帝国主義をますます強化している。

1997年のアムステルダムでEUの法体系(acquis communautaire)に正式に取り込まれたシェンゲン協定は、いちど加盟国のどこかに入れば、加盟国間での移動においてパスポート検査が不要になる協定であり、一般には「便利」という印象しかもたれないだろう。たしかにこの協定は、国境をこえる移動の自由をある程度であれ拡張するものであった。だがそれだけに、EUの新自由主義的・帝国主義的な資本や為政者たちには、その利益にあわせて改変されねばならないものであった。

2011年以来「シェンゲンの危機」が煽られ、東欧諸国や地中海に面した国々で、移民にたいする排除や迫害が強化されている。カスパレクとジアノス(Kasparek and Tsianos)は、これを「移民および国境政策の欧州共通化」にむけた政治的動員の一環として捉えている。以下、かれらの諸論点を抜粋する。

現在のシェンゲン再編の背景として、移民政策にかんするEU内の「北」と「南」での利害の違いがある。EU内の南北格差は、移民政策についての南北の差異にも反映されていた。「北」は高度技術・知識労働移民を求め、「南」の資本は(多くは非合法状態に留めおかれた)移民の低廉な労働力を利用していた。ところで、2003年制定のダブリンII規則は、EU外部からの難民の扱いを、最初にその難民が入った当事国の裁量に委ねている。これが南の移民の北への移動を可能にした。これを問題視した北は、2008年にEuropean Pact on Immigration and Asylum(欧州移民・難民協定)を締結している。これはシェンゲン境界の強化、および南での移民合法化措置の禁止を定めるものであった。2010年からはFrontex(欧州国境管理機関)がギリシャ政府の移民・国境政策への直接介入をはじめている。バーントとジアノスは、エヴロスでのフィールドワークの結果、現地での国境管理の形式的な命令権はギリシャの当局にあったものの、その実際の業務はEUのエージェントが音頭をとっていたことが分かったと報告している。

興味深いのは、この国境政策の欧州共通化が、シェンゲン圏内でのナショナルな境界の再強化と矛盾しないという事実である。2011年初頭にはじまったチュニジアの蜂起やリビアの内戦は、EUにとっては、地中海での国境管理の協力者を一時的に失うことをも意味していた。これにともない、一時的に消滅した海上の境界を渡る、北アフリカからイタリアへの移民が増加した。これにたいしてイタリアは、各種の人権条約や難民条約を無視し、レイシスト的扇動をも動員しながら、強力な排除を進めた。ただしその一方で、イタリアはチュニジアの移行政府とのあいだで、国境管理への協力再開と引きかえに、それまでに来た移民にたいする一定の滞在許可の認定をも進めていた。ところがこの措置は、イタリアからの移民流入を嫌がったフランスとの対立を引き起こしたのである。フランスはイタリアとの国境での検査再強化をもって対応した。これは、シェンゲン協定を反映した現在のEUの法体系から見て、きわめて疑わしい措置である。

結局のところ、シェンゲン協定はもっぱらヨーロッパの北だけに左右されるということだ。だからこそ、北の都合にあわせて、国境政策の欧州共通化(北のそれの南への押しつけ)が進められているのだし、逆に北にだけは、フランスが現にそうしたように、シェンゲン協定に逆行する措置も許されるのである。

ギリシャが国境の欧州共通化に服するのは、カスパレクとジアノスによれば、さもなくばシェンゲン圏から排除されると脅迫されているからでもある。その点においてかれらは、ヨーロッパの南にたいする北の「新植民地主義」を指摘している。つけ加えればシェンゲンは、EUレベルの移民・国境政策というかたちで、EU外の第三国(この場合は北アフリカ諸国)とEUとの非対称および不平等を維持するものでもあるのだから、EU内部に留まらないグローバル・サウスにたいする新植民地主義の道具でもある。とくにリビア内戦については、それがNATOが武器供与と空爆によって全面的に後援した体制転覆であったことも想起すべきだろう。そのような欧米の軍事的な覇権戦略とEUの移民・国境政策との連動を、認識し批判する必要がある。

参考文献・ウェブページ

Bernd Kasparek / Vassilis S. Tsianos, ‘This is not Europe!’ Reconstructing Schengen, in Forschungsgruppe ‘Staatsprojekt Europa’ Hrsg. 2012, Die EU in der Krise: Zwischen autoritärem Etatismus und europäischem Frühling, Münster: Westfälisches Dampfboot, SS. 72-93.

Fortress Europe http://fortresseurope.blogspot.de/
イタリアの難民問題活動家のブログ。多言語対応。おもにイタリアの入管政策の実態にかんする詳細な情報・データにアクセスできる(強制退去の件数、内容、強制退去にかかわる死者等)。

Infomobile http://infomobile.w2eu.net/
clandestina http://clandestinenglish.wordpress.com/
いずれもギリシャでの移民・難民(および支援者)の活動を報告するブログ。また、いずれも英語で読める。ギリシャの入管政策のみならず市民による移民迫害の実態、それにたいする抗議活動などの情報にアクセスできる。

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要塞ヨーロッパからEU帝国へ(1) パリ条約とローマ条約

2007年の米国不動産バブルの崩壊に端を発する連鎖状の危機は、ヨーロッパでは政府債務危機にまで発展している。たしかに現在の危機は、グローバル資本主義や新自由主義にかかわる危機だと言えよう。だがそのような規定は、それがあまりに大雑把であるという点はおくとしても、とりわけヨーロッパの危機を説明するためには、不十分ではないか。現在の欧州危機が、たんなる米国発の世界金融危機のとばっちりや、いわゆるPIIGS諸国の「怠惰」の所産としてかたづけられるのなら、この危機はヨーロッパ統合過程の一時的な障害にすぎないということになろう。しかしながら、この危機の根が欧州統合過程そのものにあるとすれば、どうだろうか。

欧州統合は、国家間の利害対立や偏狭なナショナル・アイデンティティの克服としてポジティヴに参照されることが多い。ちょうどグローバル化をめぐる政治スペクトルがそうであるように、ネオリベ的な中道右派または左派が支配的な親ヨーロッパ主義を担い、その脇に別なヨーロッパ化(市民権の非ナショナルな拡張など)を追求する左翼リバタリアンが位置する一方で、EU離脱を主張するEU懐疑派は、どの国でも概して、より強硬な保守や極右から構成されている。しかしながら筆者は、こうしたスペクトルの内部からではなく外部から、より正確にはこのスペクトル自体を相対化しつつ、欧州統合過程を批判することが可能でも、また必要でもあると考える。「別のグローバル化」や「もうひとつの世界は可能だ」といったここ10年来の対抗的スローガンが、グローバル資本主義の危機の長期化にもかかわらず、より具体的な変革のプログラムへといまだ発展していない現状をかえりみよう。支配階級だけでなく抵抗勢力もまた、危機的状況にあるのだ。この危機を認識し、既存のスペクトルそのものを乗りこえ、より大胆な変革の(スローガンではなく)プログラムへと踏み出さないかぎり、状況は変わるまい。ECB(欧州中央銀行)の前でテントを張ったところで、当局はさほど気にかけてはいないのである。だが現状では、よりラディカルなプログラムを構想する前提となる議論にすら、踏み出せていないように見える。そういうわけで、こうした現状の土台となっている政治的スペクトルそのものの相対化の必要を、筆者は切実に感じるのである。

いまも昔も左派のもっとも深刻な落ち度は、帝国主義批判である。たとえその言葉そのものは使われていたとしても、それが適切な対象に適用されているとは限らない。今日において批判し対決しなければならないのは、「唯一の超大国」アメリカの帝国主義だけではないし、ましてや、とらえどころがなく「非領土的」でほとんど形而上学的な「帝国」または「ネットワーク主権」ではありえない。帝国主義は一握りの権力者の思想にではなく、国際秩序と市場経済の構造そのものに内在している。そしてヨーロッパはいまも、この帝国主義的構造の、それなしでは済まない確たる支柱なのである。「人道的介入」の美辞麗句で空爆されたリビアの民衆や、同様の運命に陥りかねないシリアの民衆を見よ。故郷の惨状にあえぎ、欧州への避難の試みはFRONTEX(欧州国境管理エージェント)に阻まれ、ときにはサハラ砂漠や地中海で命さえ落とす、中東・アフリカからの何千、何万の難民を見よ。欧州の支配階級は、連鎖する債務危機で右往左往している一方で、外部への構造的圧力をたゆむことなく強めつづけているのである。あるイタリアの難民問題活動家がそう呼んでいるように、(ナチス第三帝国支配下のヨーロッパよりむしろ)現在のヨーロッパこそが「要塞ヨーロッパ」(Fortress Europe, Festung Europa)である。

現在のEUがいかなる意味でひとつの帝国であるかを理解するには、なによりまずその成立過程を見るべきだろう。支配的な親ヨーロッパ派が「欧州統合の起源」と見なす二つの年号──1951年と1957年──は、西欧帝国主義の新たな戦略への転換を告げるものにほかならない。

(2013.4.8追記)以下に考察が続いていましたが、あるジャーナルできちんとした分析を書き直したので、このエントリの分析は削除します。リニューアルされた分析は、そのうちここにも載せるかもしれませんが、分かりません。

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社会帝国主義者オランド(フランス)

近年のヨーロッパ左翼政党の傾向からすればじゅうぶん予測可能なことだが、社会党から選ばれたフランス新大統領のフランソワ・オランドが、シリアへの軍事介入を強く呼びかけ、さっそく社会帝国主義者としての馬脚を露わにしている。『ハンブルガー・アーベントブラット』紙が報じたところによれば、「フランス大統領オランドは中国とロシアに、シリアへの介入を説得する意向」、「火曜の晩〔5月29日〕にテレビチャンネル「フランス2」で発表」(Militärintervention in Syrien: Frankreich bereit, USA nicht, in Hamburger Abendblatt, 30.05.2012)。日本語でも関連記事が読める(たとえばロイター5月30日「仏大統領「対シリア軍事介入排除せず」、欧米は大使らを追放」)。

一方、アメリカでさえ今回はまだ軍事介入には慎重だ。米オバマ大統領のスポークスマンがあらかじめ述べていたところによれば「米は現時点でさらに軍事介入へと進むことを拒否」、それは「より大きな混沌と殺戮につながりかねない」からであるとのこと(『ハンブルガー・アーベントブラット』同上)。もちろん、米政府に純粋な平和主義を期待できるわけではない。低コストで早期に目標を達成して早期に撤退するといったリビア式の介入が、シリアでは難しくなりつつあるなかで、アメリカとってシリア介入へのイニシアティヴは(いまのところ)さほど強くないのだろう。ともあれ、シリア介入の現時点での急先鋒はオランドだ。「社会帝国主義」という用語は、まさにこのような人物にうってつけである。

それにしても、一般的により「左翼的」「進歩的」「人道的」などと見られる人士・勢力のほうが、紛争への軍事介入により積極的だというのは、いまにはじまったことではないにせよ、皮肉である。この恒常化したアイロニーにいちいち驚いていられないことに、あらためて驚きを喚起したい。

25日にはシリアの首都ホムスの近く、フーラ(al-Houla)で砲撃が起こり、多数の市民が死傷した。国連人権高等弁務官の報道官は、これを政府側勢力のしわざと見なし、国連安保理は「虐殺」と認定して非難している。また、フランス、オーストラリアを皮切りに、欧米諸国は国内シリア大使の追放を続々と決定している。

今回の攻撃がどちらの勢力によるものか、市民の死について誰にどのような責任が帰されるべきなのか。また今回の件にかかわらずシリアの情勢について、どのメディア報道に、どの側から、どの程度のバイアスがかかっているのか。それを判断することはきわめて難しい。だが前提として確認しておかねばならないのは、シリア「反体制派」はどう見ても、チュニジアやエジプトのような民衆蜂起ではなく、リビアと同様に、さいしょから武装した好戦的勢力だということだ。しかもそれはNATOやイスラエル、湾岸の君主制産油諸国による軍事的あるいは財政的なバックアップを(陰で、ではなく)公然と受けている(たとえばM.チョスドフスキー 速報およびOnline Interactive Bookを参照)。今年2月から進められていた国連の和平プラン(いわゆるアナン・プラン)も、反体制側の戦闘行為もふくめたすべての責任をシリア政府側に課すもので、反体制側に肩入れしている当のNATOの責任はさいしょから問題にされていない

要するに、シリアの情勢は、一方的な弾圧や虐殺などではなく、当初から、公然たる「軍事介入」のあるなしにかかわらず、すでに戦争なのである。しかもこの戦争に手を汚しているのは、シリア政府や反政府勢力だけでなく、後者をバックアップしているNATO諸国、トルコ、湾岸君主諸国やも含まれる。だとすれば、当然ながらシリアへの現在見られるすべての介入が批判されねばならない。もちろん軍事介入などもってのほかだ。

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